「子育てはみんなでするもの」とよく聞くけど、
最近その“意味”が変わってきてる気がすのは気のせいでしょうか?
昔は近所のおばちゃんや友達の親が、自然と見守ってくれた。
でも今は、制度とか専門家に“預ける”感じが強い。
私が実際に感じた違和感のエピソードと、そこから考えたことを綴ります。

なんかすごいモヤモヤするんよねー。
軸がブレブレな記事でごめんなさい。。。

そんなときもあるよ。
目次
本当の支えとは”心に寄り添う”ことかも

「仕事で忙しい」「自分だけで精一杯」「他人なんか考えられない」
確かに1日24時間の間に、他人のことを考える暇はない現代社会。
”心”ではなくても”寄り添う”または”手伝う”ことが少なくなってはないですか?
寺嫁のときのこと。
お斎を作る際は「ホッとしてほしいな」「会話のきっかけになればいいな」「心が休まればいいな」
ということを考えながら作っていました。
ある御門徒さん(夫)が夜に「話を聞いてほしい」とのことでお寺に電話があったときの話。
「ガンでもうじき・・・」の話でした。
1週間後に奥さんの葬儀があり、お礼参りでお会いしました。
お斎を前日から作り、配膳。
召し上がってもらうと「うまいなぁ~。もっとおかわりはあるかえ?」「久しぶりに味がした。」
きっと1週間の時間の中、何を食べても不安が大きかったのかなと思います。
また私も「久しぶりに味がした。」と言われたとき、
「作ってよかった」と心が救われた感じがしました。
どんな時でも、「相手を想う心」が「支え」じゃないでしょうか。

今って自分で精一杯な社会だよね。。。

そうなんだけど、少しだけ”寄り添う”をすれば輪ができて、
自分がしんどい時に助けになるんだけどなぁ。。。
「カウンセラーに電話する?」って言われたときの違和感

ある時、朝からモヤモヤが止まらなく、勢いのあまり園の先生に相談。
その時は涙が止まらなく、いろいろ話したんだけど。。。
話の結果。。。
「匿名でカウンセラーに電話する?」と言われた。
ん?
なんかすごく疑問が残った感じになってしまった私。
相談したことに対して、時間を使ってくれたのは、本当に感謝。
カウンセラーへの相談を提案してくれたのはありがたかったのですが、
私としては、まずその場で“先生自身の言葉で気持ちを聞いてほしかった”
という想いがなんだか強かった。
制度や専門家の支援も大切なものだとわかってはいるけど、
どこか“仕組みの中で処理されていく”ような感覚に。。。
もっと身近な誰かの言葉で、安心したかったのかもしれません。
このことがきっかけで、「ん?」っと1つの疑問が生まれた。
「みんなで育てるって何?」
今まで「カウンセラーへ。。。」など言われたことは無かった
今までは以前のこども園でも、先生にいろいろ相談してたけど、1度も言われたことが無かった。
中には「昨日眠れましたか?」「お母さんのこと思うと気になって。」と、
言ってくださる先生がいて、「自分事のように考えてくれてるんだ」「保育士ってすごいな」と
感じていた中での出来事。

転園すれば、今まで通りではないとわかってたけど、
なんか今までの保育士のイメージと逆すぎて疑問が生まれた感じかな。。。

いろんな理念や考えがあっていいとは思うけど、
人の気持ちに対して、どのように寄り添うかはポイントだよね。

批判するわけではないんだけど、
「これが本来の社会なのか」っと思た。

今まで寺生活で優遇されすぎなんだよ。

たしかに💦
現実社会なめてたわー(笑)
“支える”って、本当はもっと近くてあたたかいものだったはず

私の母や兄、周りのおばちゃんたちが言う昔の「みんなで育てる」は、
もっと人と人のつながりがある感じがする。
「ちょっと見とくよ」「大変やなぁ」って声をかけ合う関係。
~母から聞いたお祖母の話。~
私の母方の祖母はよく「かもめの水兵さん」を歌っていた。
祖母は韓国出身で、言葉がつたない。
祖父は留学で日本に来ていて、言葉は達者。
でも祖母は「憧れ」だけを抱いて日本に来たもんだから、日本語が苦手。
祖母が子育て中のこと。
ミルクも今みたいにいいものではない時代。
近所のママさんが母乳が出なくて、赤ちゃんがすごい泣いていたらしい。
祖母から話したのか、近所のママさんから話したのかわからないけど、
母乳が出ないママさんの代わりに、祖母が母乳をあげていたそう。
その時にママさんから教えてもらった日本の童謡が「かもめの水兵さん」だったらしい。
私にとっての「みんなで育てる」のイメージは、このエピソードのような感じ。
今の社会のサポートは制度的で、淡々と専門の方へ行かされる感じがする。
制度の中で役割が分かれるのは自然なことだと思いつつ、
「みんなで育てる」って、本当はもっとフラットで、
気軽な関係性の中にあるものなんじゃないか、と感じました。
悩んでいるママさん・パパさんの中には「距離を感じる」んじゃないかなと思う。

お祖母ちゃんすごいね☆
言葉が通じなくても、ママ友できたんだ!

結果的には「ママ友」だけど、
話を聞いたとき「これが助け合いか」って感じがした。

言われてみれば、「専門じゃなくてもみんなで育てる」
「専門でプロと一緒に育てる」では、感じ方が違うかもね。

幸い、私はマンション生活でもご近所づきあいがまだある。
「今の子育てって、なんか距離があってしんどいね」
というおばちゃんもいたなぁ・・・
“テクニック”じゃ、心までは届かない

療育の体験みたいな講座に行ったときも、「怒ることの分類」「とにかく褒める」というような
レクチャーがあった。
確かにむやみに叱るようなことがあったかもしれない。
自分の中で部類分けができていなかったかもしれない。
褒めることが少なかったかもしれない。
っと思う中で、「褒めるだけで育つなら苦労しないよ」って正直思った。
なぜなら「育児ってマニュアル化できるものではない。」と思ったから。
親の気持ちも子どもの気持ちも置いてけぼりな気がした。

正直、育児本が売れるのは「具体的にマニュアル化できない」ものだから
だと思ってます。。。
生意気でスミマセン。。。💦

素直じゃねーな(笑)

育児に素直だからなやんでるねん!

・・・
この人、素直じゃないです!!(笑)
私が本当にほしかった「みんなで育てる」の形

そばで一緒に悩んでくれる人。
テクニックじゃなくて、「わかるよ」と言ってくれる存在。
親の不安や揺れも否定も肯定しない。
子育てって、正解探しじゃなくて、一緒に考えてくれる仲間がいればいいのかもしれない。
「私のときは・・・」「うちの子の場合・・・」「私らの時代は・・・」
で・は・な・く
「それに至るまでつらかったね」「大丈夫」という「肯定も否定もしない言葉」が助けになります。
「言葉」だけを言っても意味がありません。
言葉だけ言われると「この人本当に自分のために言ってくれてるな」とは感じません。
まとめ:今一度「みんなで育てる」を考えてみない?
「みんなで育てる」って言葉に、期待していたぶん、ショックも大きかった。
でも、今だからこそ“本当の意味”を問い直したい。
テクニックじゃない、“心に寄り添う支え”が、親にも子どもにも必要だと思う。
「悩みに至るまでどんな背景だったのか」「悩んでいるときの感情はどんなものなのか」
「言葉で表せないほどなのか」「何が根本的な原因になるのか」など、
対話の中にはいろんな色や表現が隠されています。
「相手の立場になって」と大人は簡単に言いますが、大人はできているのでしょうか?
できているのであれば、今の社会ってもっと温もりがあって優しいはず。
ママ・パパが育休を言いやすい社会になっていたはず。
同性と結婚できるはず。
キャリアを気にしなく早く子供を育てれたはず。
子供が自由に遊べるはず。
自分たちの子供が、将来育児をしやすい社会になるように、
教育者・指導者・経営者・学生などの部類は関係ない。
カテゴライズも関係ない。
今一度「みんなで育てる」を考えてみませんか?
専門家のサポートや制度は本当にありがたい存在です。
でも、それだけじゃ満たされないと感じる瞬間がありました。
「ちょっと聞いてもらえただけで救われた」そんな人と人との関係も、
子育ての支えとして大切にできたら…
そう思った“あの日のもやもや”でした。。。

心の目。
早速、明日記事にします☆

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